時は流れても 前編



2月。
街はバレンタイン商戦で賑わっている。女の子ならこの季節、好きな人のことを考えてプレゼントは何にしよう、どうやって渡そう、などとあれこれ考えたりするものである。あかねももちろんその一人だ。高校3年になったあかねは、今年こそは素直に気持ちを伝えようと思っていたのである。本当は自分からではなく、乱馬からちゃんとした言葉で言ってもらいたいと思っているあかね。でも結局、今年のクリスマスも何も乱馬からはそういった言葉は言ってもらえなかった。
 
(あ〜あ、少しは期待していたのに…)
と、あかねはフッとため息をつく。彼の性格からいって、そういうことを彼に望むのは見当違いというのは分かっている。自分が一番良く知っていることだ。今まで何度もたわいもないケンカもしたけど、良い思い出だってたくさんある。これといって進展はなかったのだが、乱馬と一緒にいるのが当たり前って感じで日々過ごしていた。口では親が勝手に決めた許婚だから関係ない、なんて言っているけど心の中では

(いつかきっと乱馬と結婚する日がくるんだわ)

なんて思っていたりする。だって別れる理由なんて見つからないもの。お互いなんとなく意識しあっているのは、前から分かってはいるのだけど…。
あかねはバレンタイン商戦で賑わうデパートのチョコ売り場で、乱馬にあげるチョコを選んでいた。
「手作りのほうが心がこもってるって感じでイイんだけどな。でも、まっ、いいか。」

手作りしたらきっと乱馬は逃げ回って素直に受け取ってくれない。あかねはそれを重々承知だ。だから今年は市販のチョコにしたのだ。

(それに、チョコを作っているのを見られたくないし…。いかにもあなたにあげるために作っているのよ、なんて言ってるようなものだし、お父さんやなびきお姉ちゃんにからかわれるのは目に見えてるから。)

そんなことを考えながらあかねは家路についた。



夕暮れどき。外気は時間とともに冷えていく。
その頃乱馬は、近くの公園のジャングルジムの上に座っていた。彼には似合わない顔つきをしていた。乱馬もまたいろんなことを考えていた。それは将来のこと。そう、あかねとのことだ。

(高校を卒業したらどうなる?やっぱりあかねと結婚か?おじさんと親父なら「卒業と同時に祝言だ!」って言いそうだな。 …でも、いつかはあかねと結婚するんだよな、オレ。)
そう思った乱馬は一瞬嬉しそうな顔になるが、すぐに沈んだ表情に変わる。

(今のオレであかねを幸せにできるのか?養う金もねぇし。それに、あいつとすぐケンカしちまうじゃないか、オレって。許婚って言ったって、彼氏と彼女って感じの付き合い方じゃないしなぁ。実はあいつ、他に好きな男とかいるんじゃないだろーな。)

考えれば考えるほど自身がなくなっていく。うじうじと考えながらも乱馬は考えをまとめたようだ。何か決心ついたかのようにスッっと立ち上がり、軽い身のこなしでジャングルジムを降りて、天道家に向かっていった。



「たっだいまー。」
「あら、おかえりなさい。乱馬くん遅かったのね。あかねちゃんならもう帰ってるわよ。」
台所からかすみが出て来た。
「ちょっと用事があったもんだから。それより、おふくろいる?」
「早乙女のおばさまなら、商店街に買い物にいってもらってるの。もうじき戻ってくるんじゃないかしら。」
かすみはニコニコしながらそう言った。
「あっ、そう…。俺そこまで迎えに行ってくるよ」
「そう、お願いね、乱馬くん。気をつけていってらっしゃい。」
乱馬はカバンを玄関先に置くと、今来た道を戻って商店街の方へ向かった。外は薄暗くなってきはじめていた。

少し行った頃、前方からのどかが買い物カゴをさげて歩いてくるのが見えた。乱馬は急いでのどかの元へと歩み寄った。
「あら、乱馬じゃない。どうしたの?こんなところで。」
「あ、あのさぁ、オレ聞いてもらいたいことがあるんだけど、ちょっとイイかな。あの家じゃちょっと話できないから。」
「まぁ、どうしたの?あらたまっちゃって。言ってごらんなさい。」
のどかはクスっと笑いながら答えた。
すぐ近くに先ほど乱馬が寄り道していた公園がある。二人はそこのベンチに座って短い時間ではあったが話をした。そして何事もなかったかのように天道家に戻っていった。




――バレンタイン前日の午前中。
天道家にはのどか・早雲・あかねがいた。かすみもなびきも朝から出かけている。乱馬と玄馬は二日前から修行だとか言って出かけたっきりである。

(もうっ、乱馬ったら。肝心なときにいないんだからっ!明日には帰って来てよねっ!)

あかねはそう思っていた。なんたって明日はバレンタインなんだから。

ガラッ
 
そのとき玄関が開く音がした。あかねはパッっと明るい顔をして玄関に走っていった。が、そこにいたのは彼女が待っていた人ではなかった。どうも玄馬一人らしい。
「おじさま、乱馬は?」
「あ、っと、え〜と…」あかねの言葉にしどろもどろになる玄馬。それを見かねたのどかが助けを出した。
「さ、こっちに来て。みんなでお茶でも飲みましょうか。」
一同は居間に入る。のどかはお茶の準備をし始めた。急須で湯飲みにお茶を注ぎ始めたとき、あかねは何かいつもと雰囲気が違うことに気づいた。一見いつもと違わないのだが、なんとなく張り詰めた空気がそこにはあった。いったいどうしたというのだろうか…。少し不安になりながら、あかねは注がれたお茶を飲み始めた。
「ゴ、ゴホン。あ、あのな、あかね。よーく聞きなさい。あ、あ、あのね…え〜と…」
早雲が実に歯切れの悪い話かたをしている。あかねもそんな早雲にシビレをきらして聞き直した。
「なによ、お父さん。言いたいことがあるならハッキリ言ってよね。」
「えっ?あ、その…じ、実はだなぁ、あかね。おまえと乱馬くんの婚約はなかったことに…。」
そう言うと早雲は心配そうにあかねを見た。
「えっ…?」
思いもよらない早雲の言葉にあかねは驚いた。早雲と玄馬は目を合わせて、何か言ってくれと言い合っているようだ。そして玄馬が口を開く。
「そもそもワシら親同士で勝手に決めたことだし、あかねくんもそれじゃあ嫌だろ?それとも何かい?あかねくんは乱馬のこと…」
「そ、そんなことないです!勝手に決められて私も迷惑だったのよね。」
あかねはかなり動揺しながらそう答えた。
(うそっ!うそよね?今ごろ急にそんなこと言うなんて。どうして…)
心の中ではもうどうしていいのかわからなかった。ただただ、どうして?ということしか浮かばなかった。とにかく今は、この場所から離れたかった。動揺している自分を見られたくないのであろう。
「もう話はそれだけ?じゃ、私部屋に行くから。」
冷静を装ってあかねはスッっと立ち上がり、自分の部屋に向かった。玄馬と早雲も何を言えばいいのか困っているようだ。その光景をのどかはじっと静かに眺めていた。
(あかねちゃん…)
のどかは心配そうにあかねの背中を見つめていた。重たい空気に包まれた居間。のどかはスクッと立ち上がりあかねの後を追って居間を後にした。



あかねはベットに元気なく座っていた。そして窓から見える空をボーっと眺めていた。
(乱馬…)
 
――トントン
そのとき、あかねの部屋のドアをノックする音がした。
「あかねちゃん、入ってもいいかしら?」
のどかだ。あかねは今誰にも会いたくない心境だ。こんな自分を見せるのがとても嫌なのだ。だがあかねは急いで作り笑顔をした。
「あ、はい。おばさまどうぞ。」
のどかは部屋に入るとやさしい目であかねを見た。
「あかねちゃん、心配しなくていいのよ。乱馬はきっとあかねちゃんのとこに戻ってくるわよ。だから、ねっ。元気だして!」
「おばさま、私別に心配なんかしてません。それに…」
あかねはその先に言おうとした言葉を止めた。
 
”乱馬のことなんてなんとも思っていませんから!”
 
この言葉を言おうとしたのだが、こんなこと言っても、のどかには自分の気持ちがわかってしまうんじゃないかと思ったからだ。それにこれ以上、心とは裏腹なことを言って自分を追い込みたくないのである。
「きっと、乱馬には乱馬の考えがあるのよ。だから…」
(――エッ!?)
のどかが言ったその言葉にあかねは驚き振り返る。
「あのっ、おばさま。乱馬が言ったの?許婚やめるって。」
あかねはのどかに詰め寄った。まさか乱馬から言い出すことなどないと思っていたからだ。
「ええ。でもね、あかねちゃん……」
もうあかねには、のどかの話など聞こえてはいない。なぜ突然そうなってしまうのか、それがわからず頭の中がパニックになっていた。
(どーして?許婚やめたいってこと?それって私のこと嫌いってこと?ねー、どーして?乱馬ぁ〜っ!)
右手を胸の前でギュッと握りしめながら、心の中で叫んでいた。



――そして、ついに乱馬は帰ってはこなかった。



天道家から乱馬がいなくなってから5年、もうずいぶん年月が経った。
早乙女夫婦も乱馬があかねとの許婚をやめてしまったコトで、天道家にいる理由がなくなってしまったので、今は別のところに暮らしている。しかし、頻繁に天道家には出入りはしている。玄馬は早雲と将棋をさすためなのだが、のどかは、あかねのことが心配で何かと世話をやいていた。でも、意外とあかねは元気な様子で、家族もそんなあかねを見て安心していたのである。

あれからあかねは短大を卒業、容姿も可愛い女の子から大人の女性になっていた。そして以前と変わらず天道道場で日々稽古に励んでいた。自分がこの天道道場を背負っていくんだ、ということが分かっているのだろう。自分以外にそういう人間が、この家にはいないのだから仕方がないのだけれど…。長女かすみは東風先生と結婚して家を出ている。次女なびきは意外にもあの九能と結婚して海外事業に力をいれているので、ほとんど日本にはいない。なびきの場合、愛ある生活よりお金を選んだわけだが、それなりに幸せな生活を送っているらしい。

だからだろうか、近所ではあかねの結婚話でもちきりだ。容姿も申し分ない女性を世の男性がほっておくわけがない。実際今までに星の数ほどの男性が、あかねに交際を申し込んでいた。もちろん、あかねは全て断っていたので、結局今までつき合った人はいない。武道や格闘系の家からもお見合い話がひっきりなしに持ちかけられるのであるが、これもそのたびに早雲が丁寧に断っていた。あかねを気遣ってのことだろう。あかねも早雲の気遣いには感謝していた。だけど…。やはり父思いな性格なのだろう、早雲を早く安心させてあげたいと思うあかねは、ある日お見合いを承諾したのだった。
(もう、忘れなくちゃ。そうよ、あいつはもう関係ないの…)
夜空に瞬く無数の星を眺めながら、あかねはひんやりとした夜風に、伸びた髪をなびかせていた。




それはまだ寒い季節。
外観も心理に作用するのか、あかねは寒い季節はどうも明るい気分になれない。過去…そう、あのときの辛い想いを記憶の片隅から引き出してしまう寒い季節。消したいと思っても、どうしても消え去らない思い出。
(私っていつからこんな弱い人間になった?ダメよ、こんなんじゃ。人は変われるのよ。がんばれ、私!)
自分に何度も言い聞かせる。

「あかねさん?どうかしたの?」
突然現実に引き戻される。そう、目の前には先日お見合いした相手が座っている。これといって断る理由などないし、相手の男性も「とりあえず僕という人間を理解してから、答えを出して欲しい」と懇願してきた。それももっともな話だと、あかねは今日お見合い相手の彼とデートしているのだ。
 
お見合い相手の男――年は同じくらいで、家柄は流派は違うもののかなり有名な武道家である。性格はやはり武道家ゆえか熱血タイプだろうか。でもとても優しく思いやりがある。いまどきには珍しいタイプかもしれないが、もともと軟派なタイプは嫌いなあかね、このお見合い相手の男には好意的に接していた。
 
その日のデートも、ショッピング、遊園地、食事、といたって普通であった。そして帰り道の途中も、彼の話をなにげに聞いていた。
「俺は武道が好きなんだ。だから家も喜んで継ぐ。ただ、親父からお見合いの話が来た時は、正直ムッとしたよ。だってそうだろ?自分の生涯の伴侶を人にすすめられて決めるなんて変な話だよな。だから、お見合いしても気に入らない女だったら、お見合いなんてやめちゃおうって思ってたんだ。」
それを聞くと、あかねはなぜか共鳴するものがあった。いつのまにか、彼の話に耳を傾けていた。
彼の話は続く。
「お見合い相手が君でよかったよ。まだ少ししか話してないけど、なんとなく僕には分かるんだ。あかねさんはとっても優しくてとってもイイ人だ。僕はあかねさんとだったら上手くやっていけると思ったんだ。なんか僕ばかり先走っちゃってる気がするけど…。でももしよかったら、このまま少しの間僕とつき合ってみてくれないか?僕ももっとあかねさんのこと知りたいしね。友達からって付き合い方もあるしね。」
そんなに強引とは思えない誘い方。でもあかねはこの日から少しずつではあるが、お見合い相手の彼に惹かれていった。

(この人ならついて行ける気がする…。前に進んでみよう。)


この日からあかねの中で止まっていた時間がやっと動き出していった。

 
 
 
 
 
――数ヵ月後。
両家の親が介入してか早くも結婚の日取りまでもが決まった頃であった。
「あかね、今日から祝言までの1ヶ月、道場のことはいいから花嫁修業をがんばりなさい。少しはやったほうがいいんじゃないか?」
早雲があかねにこんなことを言ってきたのだ。長女かすみがお嫁に行ってからは、天道家の家事はあかねがやっていた。もちろん、料理も最初のうちは食べれたものではなかったが、のどかも手伝ってくれてそれなりに食べられるものを作れるようになってきたのだ。それでもまだ、味、見た目共に良いものとは言えないのだ。それで早雲は花嫁修業をと考えたのである。
「でもお父さん、道場はどうするの!?もし道場破りでも来たら!」
「なーに、大丈夫だよ。ワシらでなんとかするし。それに結婚前にキズでも作ったら困るじゃないか。」
「でもぉー、本当に大丈夫なの?」
「わっはっはっは、大丈夫だよー、あかね。お父さんを信用しなさい。」
(本当に大丈夫かしら…)
あかねは心底心配していた。でも、もしものときは私がこの道場を守ってみせる、そう彼女は心に思った。


数日後。
あかねがロードワークから帰ってくると、早雲が出迎えた。
「いやぁー、あかね、精が出るなぁ。そうそう、今日からもう道場のほうは気にしなくていいからね。あかねは、自分のことをしてくれればいいから。あまり体を酷使しないでおくれよ。結婚前の大事な体なんだから。」
あかねは、花嫁修業をする傍ら毎日の日課であるロードワークと基礎トレーニングは欠かさなかった。武道家の端くれなるもの、いかなるときにも精進せよということがもう体に染み込んでいるからだ。

(ゴツゴツした汚い手…。結婚指輪なんて似合いそうもないわね。こんな手で毎日料理作ったりするんだ、私。)
自分の手を見つめながらクスッと笑う。やはり武道をやっているせいで、普通の女の子より多少手がゴツゴツしている感じなのだろう。ま、普通の人にはそう違いは分からないのだが、本人はかなり気にしているようだ。

「あかね、それからだねぇ…」
あかねが部屋に行こうとすると、早雲が思い切って言い出した。
「今日から道場に、その…用心棒というか、ま、道場破りが来ても大丈夫なように、来てもらったから。だからあかね、安心して花嫁修業していいんだよ。分かったね。」
少々焦り気味ではあったが、早雲は言いたかったことをあかねに伝えることができて幾分安心したようだ。
「えっ?ちょっと待ってよ、お父さん!何よそれ。私にだまって用心棒ですって?私がいるじゃないっ。そうでしょー?どこの馬の骨か分からない人入れたんじゃない?お父さんたらっ。第一強いの?その人。」
あかねは、早雲に食って掛かった。
「う、う〜ん、多分大丈夫じゃないかな…」
早雲はあかねの勢いにすっかりひるんでしまっていた。一家の長ともあろう者が、娘には弱いのだ。
「もーっ、お父さんったら!私が行って確かめてくる!」

あかねはクルッと向きを変えると、足早に道場へ向かった。このときあかねはかなり頭にきていた。早雲が自分に相談もなしに勝手に道場に用心棒など雇ったことが不満であったし、それによって自分の武道家としてのプライドが傷ついたというがある。それに自分より強いかもしれないという相手に興味を持つのは当たり前である。
(…本当に強いのかしら?)
少し緊張しながら道場のドアを開ける。
すると、そこには小柄なショートカットの女の子が、床に横になって寝ていたのだ。
(なっ!なによ、この子!)
あまりに失礼な態度に唖然としてしまった。女の子は入口に背を向けて寝ていたので、あかねからは顔はまだ見えない。あかねは女の子の背後に立つと大声で叫んだ。
「ちょっとあなた、起きなさい!やる気あんの?!」
「…ん? …ふぁぁ〜?」
グッスリ寝ているところをたたき起こされ、何が起こったか分からないようなしぐさで、女の子はあかねの方を振り返った。


!!!!
「…らんまっ?!」
あかねは目を見開いて驚いた。おさげ髪ではなくショートカットなのだが、そこにいる女の子はまさしく らんま なのだ。

(目の錯覚?ううん、違う。ここに…目の前にいるのは、らんま。間違いは無い。)
忘れかけていた過去の記憶…。彼女は一瞬にして思い出してしまった。
 
「よお、久しぶりだな。」
らんまは、久しぶりに会ったという感じの口調ではなく、ただボソっと言っただけだった。そんなことがあかねの気分を害したのか、あるいは今までの想いがそうさせたのか、あかねは何も言わず道場から逃げるように立ち去っていった。
らんまはそんなあかねをジッと見つめていた。なにか口に出したくても、言えない。そんなもどかしさを彼は持っていた。広い道場でポツンと残され、あかねの消えた入口をずっと眺めていた。


あかねは自分の部屋に駆け込み、ベットにうずくまった。
(なんで…なんで今ごろ…。私もなんで動揺しなくちゃいけないのよ。)
その日の夜、あかねはらんまのことばかり考えてしまい、なかなか眠りにつけなかった。



翌日からあかねは道場には寄り付かなくなっていた。なるべくなら、らんまの顔を見たくないと思ったからだ。だが、そんな気持ちとは裏腹に、視線は道場に向けられる。心のどこかで彼を想っているからなのだろうか。なんとなく、あかねは気分が落ち着かない。
「とりあえず、お昼の準備しなくちゃ。おかず何にしよう…。」
気持ちを切り替えようと、頭を左右にブンブンふり、心に一喝して台所に立つ。あかねは献立に悩んだ。実は早雲から、らんまの食事も用意するように言われていたからだ。らんまは遠慮してなのか、お腹を壊すのがイヤなのか、食事を断っていたようだが早雲の強い押しに負けたのだ。昔かららんまは早雲の頼みに弱い。
料理のレパトリーが少ないあかねは、なるべく簡単に美味しくできそうな野菜炒めにすることにした。でもあかねは内心自信満々である。いろいろ世話をやいてくれるのどかに、よく野菜炒めは教えてもらったからだ。その間、のどかがあかねの作った料理を味見して何回気絶したかは定かではない。しかし、いつからかのどかも気絶することは無くなり、それを見てあかねも安心したし、自信が持ててきたのだ。


…じぃぃぃ〜〜っ
(ん?)
あかねは背後に視線を感じた。振り返るとすぐ後ろにらんまが覗きこんでいた。
「ちょっとなによっ。びっくりするじゃない!」
驚いたあかねはちょっと怒り口調で言葉を投げかけた。
「わりぃ。でもよぉ、俺だっていきなり腹こわしたくないしな。ところでメシ何作るんだよ」
さらりとこんなことを言いのけるこの口の悪さは健在であった。あかねはムッとしながらも、食材を切って下ごしらえをする。
「うるさいわねっ。見れば分かるでしょ?野菜炒めよ!こんなとこで油売ってないであっち行きなさいよ!」
文句言いながらドカドカと野菜をきざむ。普通野菜を切るのに、こんな威勢のよい音がでるのだろうか?かぼちゃを切っているのではないかと思わせるくらいである。それでもまな板のかけらは混入しないようにはなっていた。らんまは額に汗しながらこの光景を見ていた。
(…あかね、相変わらずだなぁ。それよりこれは食えるのか?)
「!!…おいっ! なんだそれは。」
らんまはあかねが手にした調味料を見てギョッとして叫んだ。手にした容器には”サラダ油”と書かれているではないか。
「ふふっ、隠し味の”白ワイン”よ。」
あかねは得意げに言うが、らんまは気が気ではない。こんなもの入れられたら、火が燃え上がってしまうではないか。昼食にもありつけなくなってしまう。危機を感じ取ったらんまは、急いであかねからサラダ油を取り上げた。
「ばっかじゃないの、おまえ。こんなん入れたら食えれなくなっちまうだろーがっ。」
こんな調子で2人は文句言い合いながら食事の用意をしていた。そして2人ともどこか懐かしく想いながら台所でケンカしていた。
そしてこの昼前の状況は毎日続くことになった。



お互いケンカしながらもどこか顔は生き生きしている。あかねはふと想う。
(…なぜだかとっても楽しい気分。どうかしてるな、私。)


――夕方、そろそろらんまが天道家から帰宅する時間。
毎日らんまはこの天道道場に通ってくる。早雲は泊り込みでもいいと言ったようだが、らんまは承諾しなかったようだ。
あかねは、らんまがこの家に来てからずっと気になっていたことがある。それを今日はらんまに聞いてみようと思っていた。玄関でらんまが帰ろうと靴を履き終えたときであった。
「ねえ、らんま。あなたどうして女の姿のままなの?」
突然の質問にらんまは振り返り、しばしの沈黙。
「…まったく、気を使ってやってるのが分かんないのか?だーかーらぁ、おまえは鈍感なんだよ。結婚前に他の男と噂でもたったら困るだろ?」
口は悪いが、これは彼なりの優しさなのかもしれない。
「鈍感鈍感って、何よ!第一、あんたと噂が立つことなんてあるわけないじゃないっ!」
あかねは妙に腹が立って言い返した。普段から普通に会話が成り立たない。世間から見たらケンカだ。でも実際これは2人にとってはコミュニケーションみたいなものなのだ。
 
――ガラッ
 
「こんにちはー。」
玄関で2人が言い合っているときであった。突然威勢よく玄関が開き、聞き覚えのある声がした。それはガッチリした体格の男、そう、あかねの結婚相手だ。
今まで言い合っていた2人も、すっかりおとなしくなり、どこかぎこちない感じまでする。
「そ、それじゃ、帰る。んじゃ…」
らんまはその場から立ち去ろうとした。
そのときである。早雲が訪問者の声を聞きつけて居間から出てきた。
「おや、誰かと思ったら…。そんな所にいないで上がってくれたまえ。せっかくだから夕食も一緒に食べていったらどうかね?」
早雲は笑顔でこういうとあかねと婚約者を交互に見やった。婚約者も、それじゃあ遠慮なくと快く返事をしてかなり嬉しそうだ。
ここに居るのは少々場違いとばかり、背を向け去ろうとするらんまに早雲が声をかけた。
「らんまクンも一緒にどうかね?」
この男は場を読めないのかもしれない。あかねもらんまも、かなり戸惑い気味である。
「…いえ、俺は…」
その後の言葉を待たず、横から声がする。
「遠慮しないで君もぜひ一緒に。あっ、君と会うのは初めてなのかな?僕はあかねさんと今度結婚するんだ。君、僕達の結婚式のときまで、あかねさんの代わりに道場任されてる子だよね?じゃあ、お礼も言いたいし、ね、いいだろ?」
帰ります、と言おうとしたときに、あかねの婚約者の男が親切心からかそう言ってきた。断りがたい雰囲気に呑まれてしまったらんまは、結局天道家の夕食に付き合うハメになってしまったのであった。



「楽しみだなー。あかねさんの料理食べられるなんて。ま、もうすぐ毎日食べられるようになるんだけどね。」
この婚約者、実は今までにあかねの手料理を食べたことがないのである。浮かれる気持ちは分からないでもない。しかし、現状を知っている早雲、らんまの両者は額に汗状態。あかねもこんなに期待されてると知っては、かなり戸惑いの色を隠せない。
「じゃ、私夕食の支度してくるわ。」
あかねは足早にその場を去る。と、すぐにらんまも動き出す。
「わ、わたしも、お料理手伝うわよ。2人でやれば早いし、それに、あかねちゃんだけに任せちゃしんぱ…、っとそうじゃなくて、悪いもの。」
一瞬「心配」と言おうとしたが、あかねの鋭い視線が突き刺さり、あわてて言い直した。らんまもこの場から抜け出したい一心で、こんなことを言ったのだ。

ひとまず居間から抜け出せた2人。台所で夕食の準備に取り掛かる。相変わらず、あかねは下ごしらえから要領がイマイチ。横で見ていたらんまも、たまらず手を出してしまう。そんなことでまた言い合いが始まってしまうのだが、今回は言い争ってるヒマはない。らんまは手際よく下ごしらえを済ませ、調理に取り掛かる。らんまに横槍を入れられ機嫌が悪かったのだが、そのプロ級とも思える手さばきを見て感動さえ覚えた。
(す、すごい。コイツ、なんて上手いの!?)
「ねえ、料理とか自分でするの?」
思わず聞いてしまった。昔から自分より上手いとは知ってるが、男に負けるなんてちょっとくやしい。
ピタッと調理中の手が止まる。
「俺に出来ないコトは無いの!ふっ、俺って天才だしなー。不器用なおまえと一緒にすんなよ。」
思いっきり憎たらしいことを言うと、止まっていた手もすぐに動き出し調理再開。しかし、一呼吸置いてから彼の口から出た言葉。
「…一人暮らししてっから、このくらい朝飯前だよ。」
ボソッと言ったこの言葉。あかねは今まで、らんまのコトを何一つ聞いていなかった。彼がどこに住んでいるのか、今まで何をしていたのか、など。いろいろ聞きたい。聞きたいことは山ほどある。頭の中でそんな思いが巡っている。
「おいっ、出来たぞ。盛り付けくらいやれよ。そのくらいまともに出来んだろ?」
その声にハッと現実に引き戻される。
「な、なによ!そのくらいって。他に何も出来ないみたいな言い方しないでよね!」
ブツブツ言いながら盛り付けていくが、出来上がりの大皿を見てらんまは口を引きつらせた。
「…お、おまえなぁ。」
盛り付けられた皿は、見事に食べる人の食欲を奪うものだった。何も言わずササッと手直しするらんま。あっという間に見た目も美味しそうな料理に変わった。
「ったくよー、これだから。」
「なによ、食べれればいいのよ!」
こんな感じで料理も無事終え、夕食のときを迎えた。



「あかねさん、料理美味しかったですよー。」
婚約者は心底そう言った。本当に美味しかったのだ。だが、実際はほとんどらんまが作っていたのだが…。あかねは額に汗しながら笑顔で応対していた。
「そういえば、らんこちゃんって言ったけ?若いのに凄く強いんだってねー。あかねさんも強いけど、それと同じくらいなんだって?凄いなぁ。一度僕とも手合わせしてもらえないかなぁ。僕も一応柔道と空手をやってるんだ。よかったら、今から手合わせしてくれないかな。ダメかな?」
婚約者はらんまの強さがどれだけのものかとても興味があった。若い女の子がこの天道道場を任されたくらいだ。きっと凄いんだろうと思ったからだ。
「いっ!?…まぁ、いいですけど。」
らんまは少し考えたが、申し入れを受けることにした。申し込まれたら受けて立つのが彼にはあたりまえなのだろう。だが、らんまは思った。
(こんなやつ、一発で倒せるけど、ここで野郎をのしたらあかね怒るだろーな。)
一応あかねの婚約者だ。しかしワザとまけるのも自分のプライドが許さない。どうしようか考えながら、道場に向かった。



「時間制限なし、1本勝負だ。いいね、らんこちゃん?」
婚約者が余裕の顔でそう言った。女の子に負けるはずが無い、そういった顔だ。
(チッ!むかつく野郎だぜ。…よし、決めた。いっちょやるか。)
らんまはそう思うとすぐに隙のない構えを見せた。が、すぐに攻撃という感じではない。とりあえず相手の出方と実力拝見してからというところであろうか。試合開始かららんまは、相手の繰り出す拳を危なげなくかわしていた。そろそろ1分経過するころだろうか、あかねはらんまの微妙な動きの変化を見逃さなかった。そう、攻撃するための構えに変わったのだ。普通の人には分からないであろう。あかねは何度も間近で彼の攻撃を見てきた。そして彼女も格闘家だからだ。
(来るわ!)
あかねがそう思った瞬間であった、らんまから必殺の一撃が繰り出されていた。とうてい素人では交わせないものだ。

ガハッ!
婚約者は道場の壁に吹き飛ばされた。もちろん、らんまはこんな素人武道家相手に、10割の力を出したわけではないので、命に別状はない。
「あらっ、ごめんなさ〜い。大丈夫?」
らんまは甘ったれた声でそう言った。すこし嫌味も含まれているのだろう。
「いててて…。いやぁ、すごいね、らんこちゃん。」
婚約者は痛みの為か、割合口数が少ない。

(チッ、やっぱ大した野郎じゃないぜ。あかねのヤツ、こんな野郎のどこがいいんだ?)
らんまは手合わせでは勝利したが、全然嬉しくない。逆に気分が悪い。
早く帰りたい。そう思ったらんまは、あかねの顔も見ないで道場を後にした。正直、あかねの顔は見れなかった。婚約者をぶっ飛ばした自分に向けられる目。それを見るのがイヤだったのだ。



夜空は星も月も出ていない。雲で隠れてしまっている。
それぞれ違う場所から暗黒な空を見上げ、ため息が漏れた。

 
 
後編へ続く

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