桜湯(2)


乱馬とあかねは付き合い始めたものの、許婚同士のときとは違い、住んでる場所も違えば、お互いの空いている時間というものも限られていた。なので、頻繁に会うことはなかなか出来ない状態。だが、そんな中、日曜日に会うことを約束した2人なのであった。

――日曜、朝6時。
乱馬との約束通りの時間に到着したあかねは、呼鈴を鳴らそうと指をかけようとしたのだが、寸前で思いとどまった。
(そういえば、この前部屋のスペアキーもらったんだっけ。勝手に開けちゃってもいいよね?)
そう思うと、あかねはバックから鍵を取り出し、ドキドキしながら鍵を差し込んだ。

カチャ

そーっとドアを開けて中の様子を覗いてみる。
すると、ベッドの上で高いびきの乱馬が目に入った。あかねは乱馬のもとへつかつかと歩み寄る。

「ちょっと、起きなさいよ!6時に来いって言ったの乱馬でしょ!」
「ん……うわっ!やべっ!もう6時?」
乱馬は時計を見て慌てて飛び起き、急いで仕度をする。その様子を呆れたように見ているあかねだが、今日はとっても心がウキウキしていた。だって、付き合い始めて初めて2人で出掛けるというのだから。
「ねえ、今からどこ行くの?」
あかねはテーマパークとかショッピングに行くものだと期待していたのだが、乱馬の口からは思ってもみなかった場所が出てきたのだ。

「道場。」
「…はあ?」
「ほらっ、もう行くぞ。」
バタバタと慌ただしく部屋を飛び出した2人。乱馬の後ろをついて歩くあかねは不満顔。
(もうっ、何でこんなに朝早くから道場なのよっ。デートじゃなかったの?)
「なあ、おまえさっきからムスッとしてない?」
「別に。」
乱馬はあかねの機嫌の悪さの原因がイマイチ分からずいたので、首をかしげながら道場への道のりを進んでいた。

道場に着くと、そこの道場の奥さんらしき人物と乱馬は話をしている。
「じゃ、お願いしますね。いい結果が出るといいわね。がんばって。」
「はい。じゃ、行ってきます。」
道場の奥さんから薬箱を手渡され、乱馬は足早にあかねのいるところへ戻ってきた。

「ねえ、いったい今からどこに行くの?薬箱持っちゃって。」
「今日は教え子の試合があんだよ。それに行くわけ。俺、コーチだしな。あかねは副コーチってことで、な。」
「えっ、こないだの子供達が試合するの?へえ〜、凄いじゃない!」
「ま、先生が優秀だからなー。幼児の部で優勝しちゃうかもな。」
「あんたのどこが優秀なのよー。」
今日2人で交わす会話で、はじめて笑顔が飛び出した瞬間であった。はじめはデートじゃないからとムスッとしていたあかねだが、話題が格闘や武道のことになると話が自然と弾む。それは彼女の趣味であり生活の一部だからだ。そういう話を自然に出来る相手というのは、本当に気が合うものである。同じ趣味のものに一緒に取り組むっていうのは、本当に気持ちが良いものなのだ。



――試合会場。会場内は既に大勢の参加者で賑わっている。

「乱馬せんせー、あかねせんせー。僕ね今日は絶対勝んだー。」
教え子達はみんな自身満々。やはり教えている乱馬がそうであるように、子供達も格闘することを心底楽しいと思っているからなのだろう。子供達の中で唯一の女の子も今日は出場する。だが、やはり今日もその子はあかねにはツンとした態度で目も合わそうとしなかった。
(はあ〜。女の子の気持ちって分からないでもないけど、やっぱこうも無視されると辛いわ…)
あかねはため息をつきながら試合開始を待っていた。


予選が始まると、乱馬もあかねも教え子の試合に白熱して声をあげる。
やはり他の道場の子供達と比べたら、動きは確実に乱馬の教えた子供達のほうが上である。ただ、それが上手く試合に実践できるかというのは、年齢的な問題と場慣れしてるかどうかという2点。勝ち進んだ子もいればすぐに負けてしまった子もいる。それは仕方が無いことなのだ。あかねは久しぶりに心が熱くなった。自分が試合に出なくても、自分の教えている子のがんばっている姿を応援するのも悪くない。あかねは、乱馬がこういうことも経験しながら5年間を過ごしてきたのだと思うと、羨ましくてたまらなかった。チラッと乱馬の顔を覗くと、本当にイイ顔をしている。自分の好きなことに打ち込む顔というのは、本当に素敵である。
 
乱馬の教え子の唯一の女の子の試合が始まった。
この女の子もそこそこ勝ち進んできたのだが、この試合は体格に差があり誰が見ても分が悪い。かなり不利な試合。
と、そのとき。
「…乱馬!今あの子。」
「ああ、足痛めたな。続けさせるのはムリだな。」
そのとき女の子が足を痛めたことなど、多分周りで気付いたのは乱馬とあかねくらいだろう。女の子はそれでも一生懸命に戦っているが、乱馬が進行委員に試合棄権を申し出た。
試合を途中で中断され、女の子は自分が負けてしまったのだと知ると、大声で泣き始めた。
「うわぁ〜ん、乱馬せんせーのばかぁ〜っ!まだわたし平気だもん。」
乱馬は大声で泣かれて困り果てている。するとあかねが女の子の横に腰を下ろして頭を優しく撫でた。

「ねえ、あなたは決して負けてなんかなかったわよ。でもね、こんな足じゃ精一杯の力、相手に見せてあげれないじゃない。自分の本当の強さを相手に分かってもらいたいでしょ?」
「…」
「だから、早く痛めた足を治して、そしてもう一度チャレンジしましょ!お姉ちゃんもそういうことあったから、よく分かるわ。痛いの我慢してやったって、いい結果なんて出ないの。」
「あかねせんせーも?」
「そうよ、だから早く治しましょうね。」
「…うん。」
その女の子は、初めてあかねのことを”せんせー”と呼んだ。そして、涙でクシャクシャになった顔にも笑顔を取り戻したのであった。

子供達の試合の無い空き時間。気付くとどこにも乱馬の姿が見えない。
あかねは少し会場内を放浪しながら、乱馬の姿を探す。


突然あかねは立ち止まると、自分の鼓動が高鳴るのがわかった。
(一緒に話をしている女の人は誰なの?)
歳も同じくらいで、気立ても良い。そして乱馬と笑顔で話をしている女性…。傍から見れば、普通に仲の良い人と会話をしているように見える。

だが――それは女の直感…。

あかねは、先日女の子が言った言葉を思い出した。

(乱馬せんせーには、ちゃんと恋人いるんだから!)


あかねはクルッと向きを変え、逃げるようにその場を去った。
(自分は今乱馬と付き合っている。でもこんなに不安な気持ちになるなんて、どうしてだろう?自分の知らない5年間がそうさせるのかもしれない。)
涙をこらえながら走るあかねであった。


子供達のいる場所に戻ると、あかねは何気なく女の子に乱馬のことを聞いてみることにした。
「ねえ、乱馬先生の恋人ってどんな人なの?」
「うんとねー、他の道場のせんせーで、とっても優しいの。でも、今は恋人いないって言ってたよ。私ね、あかねせんせーなら乱馬せんせーの恋人になってもゆるしてあげる。」
「あはは、そっか…。」
あかねは確信した。さっき見た女性はきっと乱馬と付き合っていたに違いない。そう思うと辛くてこの場から消えてなくなりたいような気分にかられていた。その後、乱馬が帰ってきても、イマイチ気持ちが暗いままのあかね。
まさか試合会場でこんな気持ちになるなんて思ってもみなかったのだ。あかねは、その後も試合終了まで気分の晴れないまま過ごしていた。


「今日はよくやったな!お疲れさま。優勝はできなかったけど、すっげえイイ試合だったよ。また明日から練習しような。」
「はーい!乱馬せんせー、あかねせんせー。」
乱馬の教え子の中から優勝者は出なかったものの、すごく良い試合をしたことで満足であった。
そして子供達を家に送り帰すと、2人は乱馬の部屋に戻ることにした。



――乱馬の部屋。
もう、普通のカップルのような付き合いにも慣れてきた2人。だが今日はいくら愛している彼の腕の中でも、どうしても気持ちが明るくなれない。

自分の横で寝ている乱馬に勇気を出して聞いてみる。
「ねえ、私以外に…その…こういうことってあったの?」
「えっ。」
少し驚いた乱馬。
あかねはそんな乱馬の表情、しぐさ、など見逃さない。
「…そっか。そうだよね、5年も離れてたし、それに私たちって付き合ってたわけじゃないしね。」
無言のままあかねを見つめる乱馬。
あかねは強がって笑顔でいたのだが、ついにこらえきれず涙を溢れさせた。
「…今日、試合会場で話していた女の人なのね。そんな付き合ってもいなかったときのことを、今更とやかく言うなんて間違ってるって分かってるの。でも、でもね…」

乱馬はあかねが言い終える前に、ギュッと強くあかねを抱きしめた。

「今は、あかねだけだから。これからずっと、あかねだけだから。」

さらに力を込めてあかねを抱く。
あかねは涙を流しながら、乱馬の胸に顔をうずめ、そして、小さい声でつぶやいた。

「私も、ずっと乱馬だけだから。」


そうして、お互いの気持ちを再確認するように深いキスをした。


(どうして私は今の乱馬の気持ちを分かってて、あんなこと言ってしまったんだろ。自分のことを大切にしてくれているって分かってるのに…。もう昔のことなんかどうでもいいじゃない。私、どうかしてたわ。ごめんね、乱馬…。)
これからは2人で新しい思い出を作っていけばいい。
乱馬の腕の中でそう思うあかねであった。
 
 
 
つづく…

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