桜湯(3)

 
乱馬とあかねは付き合い始めて3ヶ月が経った。もう誰が見ても普通のカップルと同じだが、付き合っているのを知っているのはまだ誰もいない。


あかねはその日、大学時代の友人と会っていた。以前遊ぶ約束をしておきながら、当日乱馬にアルバイト先の道場に連れて行かれたため、遊ぶのをドタキャンしてしまった時の友人達。あの時のお詫びを兼ねて今日は喫茶店で久しぶりに再会していたのだ。

「ねえ、あかね。こないだ一緒にいた男の人。彼女いるの?すっごく好みなんだけど。」
あかねの友人は乱馬のことを言っているようである。あかねは自分と付き合っているのに、彼氏じゃないと先日ウソをついてしまったことを悔いた。

(今更どうやって言おう。本当は付き合ってるだなんて。何か言い出しにくいな…。)
あかねは困った顔をしながら、切り出すタイミングを必死で探っていた。ふと、乱馬の言葉が浮かぶ。

――今度は彼氏って言えよ。
(そうよね、やっぱり言うべきよね。今言わないとずっと言えないままになっちゃいそうだし。)
そう思ったあかねは、大きく深呼吸をすると友人に向かって口を開いた。

「あ、あの、ごめんね。実はあの男の人と付き合ってるの。」
やっとの思いで言い出し、友人らの反応を待つ。
友人らは思った通り、驚き、そしてあかねを延々質問攻めにした。いつから付き合ってたの?から始まってどこまでいったのか、まで話はどんどんエスカレートしていく。ま、気の知れた友人同士、そのくらいの質問はよくあることだろう。あかねは額に汗しながらある程度質問をかわしていった。
「そっかぁー、あかねは今幸せなんだー。心配して損しちゃったなー。」
「ごめんね、黙ってて。」
「じゃあ、結婚するって決まったらすぐに教えなさいよ。」
「えっ!?結婚だなんて、まだ…」
結婚には憧れているが、全然そんな話も出たことないのであかねは少し焦ってしまった。
「決まったらよ。き・まっ・た・らっ。結婚なんて話さえ出ればすぐなんだから。実際私の周りでもどんどんお嫁に行っちゃってさー。だから私も早くしたいんだよねー。」
友人はため息をつきながら話した。やはりこのくらいの年齢になると結婚のことには敏感なのだ。
あかねも何となくそのことが頭から離れないまま、友人らと別れ家路についた。


(そっかー、結婚か。乱馬が現われなかったら、今ごろ違う人と結婚してたのよね、私。…乱馬は、私と結婚したいと思ってくれているかな?)
愛されているのは重々承知なのだが、「結婚しよう」とまでは言われてない。自分みたいに料理も得意でない女では、結婚対象に入っていないのでは?と、不安になる。こんなことなら、ずっと許婚のままだったらよかったのに。あかねは5年前に許婚解消したことが恨めしくてならなかった。



ある日の昼過ぎ。
この日はめずらしく朝から2人でデートだったのだ。デートといっても室内プールに泳ぎに行ったので、もちろん女らんまの姿である。女同士のデートもたまには良いものである。帰り道、急に誰かがらんまを呼び止めた。
「らんこちゃん。」
声の主はどうもらんまの知り合いの女性らしい。らんまはその女性と何か会話をしてすぐにあかねの元に帰って来た。そして「わりい、行こうぜ。」と言っただけ。特にどういう関係の女性とも言わないが、なんとなく相手が女性だと気になってしまう。あかねは乱馬の部屋に戻ってから、その女性のことを聞いてみることにした。

「さっきの女の人、誰なの?」
「ああ、あいつ?一緒に働いてる同僚だ。休み代わってくれってさ。」
夜の仕事仲間なのか、と素性が分かったのか少しホッとするあかね。だが、すぐに余計な妄想があかねを支配した。

(夜の仕事って、全員女じゃない!もしかしたらその中の女性と…。さっきの女の人とだってもしかしたら…)
こういうふうに勘ぐり出してしまうと、もうどうにも止まらない。あかねは乱馬を疑いの眼差しで見つめた。

「ん?なんかお前、ヘンなこと考えてないか?そーゆう顔するときは大体何か考えてる。」
あかねの視線に気付いたらんまは、少し呆れ顔であかねを見た。
「じゃあ、言いますけど。女の子ばかりのところで働いてて何もなかったって言えるの?さっきの女の子だって、やけに仲良さそうだったじゃない!」
いらぬ妄想で腹を立てていたあかねは、怒りのままをらんまにぶつけた。
「なっ!お前何考えてんだ!?んなことあるわけねえじゃん。ったく!」
「ふん。そんなこと分からないじゃない!…もう私帰る!!」
あかねは怒りがおさまらず、すくっと立ち上がると玄関に直行した。
と、そのとき。
あかねは軽いめまいを感じ、その場にうずくまった。

「お、おい。どうしたんだよ。」
「ほっといて!何でもない。」
すぐに立ち上がり、靴を履こうとするあかねをらんまは静止する。
「おいっ、絶対ここにいろよ。すぐ戻ってくるから。分かったな!」
少し凄みのある言い方だったので、あかねもひるんでしまいその場にしゃがみ込んだ。


10分くらい経った頃だろうか。らんまが戻って来ると、あかねは冷静さを取り戻したのかさっきまでの勢いは全然感じられない。「ほら、これ。」
らんまは小さな紙袋をあかねに手渡した。

何が入っているのかと不思議に思いながら、あかねは袋を開けて中身を取り出す。
「これって…」
「そう。やってみろ。」
中から取り出したもの。それは妊娠検査薬。
「お前、最近食細いしなー。それに出来たっておかしくないし。」
あかねは自分でも気付かなかった体調の変化を、らんまが気付いていたことに驚いた。
「でも、よくこんなの知ってたわね。」
「ばーか。女ばっかのとこで働いてりゃあ、そのくらい分かるって。さすがに薬局で買うのは抵抗あったけどなー。」
あかねは決心ついたかのように、トイレに駆け込んだ。



「どうだった?」
「う、うん…。」
あかねは”陽性”と、結果を言うのをためらった。自分は嬉しいのだが、らんまの顔色が気になる。もし嫌な顔をされたら…。
「なあ、どうだった?」
「…できてた。」
あかねはらんまの顔色をうかがっていた。
だが、顔色一つ変えず「そっか。さーて、どうすっかな。」と言っただけ。

(ちょ、ちょっとぉ!どうすっかなーって何よっ!)

あかねは心の中で叫んだ。あかねには無責任な言い方にしか聞こえなかったのだ。かなりショックで落胆するあかね。
「なあ、あかね。何か冴えない顔してっけど、まださっきのこと怒ってんのか?本当に何もなかったんだって。」
らんまはあかねの落胆振りの原因が分かってない様子。何も答えないあかねをよそに、らんまはお湯をかぶり男の姿に戻った。


「じゃ、行くぞ。まだ間に合う。」
(行くってどこよ!まさか…病院?)
あかねは一瞬目の前が真っ白になった。こんなことになるなんて思ってもいなかったのだから。


乱馬の後を重い足取りでついて行く。
そして、ピタッと足が止まった。

恐る恐る顔を上げると、そこは区役所。

――えっ!? 
「さっ、婚姻届ってのをもらいに行こうぜ!」
笑顔で乱馬は言うと、あかねの手をひっぱって中に入った。
あかねはもう驚きと嬉しさで胸がいっぱいになっていた。自分が勝手に産婦人科に子供をおろしに行くと勘違いしていたのが本当に恥ずかしい。よく考えてみたら、アルバイトであんなに子供達相手に熱心に格闘を教えている乱馬が、子供を嫌いなはずがない。それなのに自分は悪い方へと考えてしまったのだ。

(私って、ばかだわ…。それに証拠もないのに女の人とのこと勘ぐったりして。後であやまらなくちゃ。)
あかねは先程の自分の行動を反省していた。


婚姻届をもらい、2人はとりあえず先に玄馬とのどかのところに向かった。そして、話はすんなり済んでしまい、あかねは拍子抜けする。まあ、昔からのどかや玄馬は結婚することに大賛成であったため、何も不思議なことではないのだが…。特にのどかが自分に乱馬との赤ちゃんが出来たことを、ものすごく喜んでくれたのが嬉しくてならなかった。


――天道道場。
居間では早雲が慌てふためいている。
乱馬たちの口から説明する前に、玄馬とのどかがペラペラとしゃべってしまったのだ。
「ほ、本当かね!あかねっ、乱馬君。子供が出来たっていうのはぁ〜。もう、お嫁に出せないじゃないのよ。乱馬君!もちろん責任取ってくれるんだろうねえ!?」
「いや、だからさっきから…そう言って…」
「乱馬く〜ん、男なら男らしくけじめというものをだね…」
「だから、さっきから…」
2人の押し問答のような会話は延々と続いていた。昔から早雲には弱い乱馬。
(もう!だらしないんだから!)
あかねは呆れたように乱馬を見ていた。


と、そのとき。のどかが何やら荷物を並べ始めた。
「おばさま、それはいったい?」
あかねは風呂敷の中に入っているものの正体が分からず、のどかに質問した。
「これは、結納セットよ。さ、早く結納済ませてしまいましょう!」
嬉しそうにそう言うと、のどかはテキパキと結納セットを並べていく。さすが母は偉大だ。
結婚の意志を伝えに来た日に結納だなんて、多分ここの家族だけだろう。
「さっ、おめでたい席ですし、これでもどうぞ。」
のどかが運んできたもの。それは桜湯。
「あっ、桜の花が入ってる!」
あかねは初めて見た飲み物に驚いている。
「これはね、おめでたい席で飲むものなの。塩漬けした桜の花をお湯に入れたものなのよ。だって、今日はものすごくおめでたい日ですものね!あかねちゃんが娘になる日をどれだけ楽しみにしていたことか。それに赤ちゃんまでいるなんて嬉しいわ。」

(おばさま…。私もとっても嬉しいわ。)
あかねはのどかの言葉で胸が熱くなった。


そして早雲、玄馬、のどかの3人はめでたいとばかりに盛り上がっていた。それを見て、乱馬たちはそーっと居間を抜け出す。
「さっ、今のうちに行こうぜ!」
「行くってどこへ?」
「決まってんだろ。コレ出しに行くんだよ。」
乱馬は手に持っていた婚姻届をあかねに見せた。もう書き込むべき欄は全て埋め、あとは提出するばかりになっていたのだ。まだ17時にはなっていないので、区役所の窓口に持って行けば受理される。
「えっ!?今から?」
「当たり前だろ。それとも嫌なのか?」
「嫌じゃないわよ。…あの、さっき…ごめんね。」
あかねは先程乱馬の部屋で証拠もないのに女の人とのこと勘ぐったりしたことをあやまった。
乱馬は少し考えるとあかねの方に向き直って口を開いた。

「俺、こないだ言わなかったか?ったく、何度も言いたかないけど。」
少し不満気な顔をするが、すぐにあかねのほうを見つめる。
「今は、あかねだけだから。これからずっと、あかねだけだから。いいか、もう絶対言わねえぞ。」
「…うん。」
嬉しくて瞳に涙が浮かぶ。
そんなあかねを乱馬は優しく抱きしめ、軽くキスをした。
「さ、早く行こうぜ!」
「うん!」



そして、婚姻届は無事に受理され、2人は晴れて夫婦になった。

「よろしくな。」
「こちらこそ。」
笑顔で見詰め合う2人。
「それと…元気な子供、産んでくれよな。」
「ふふっ、乱馬の子供なら絶対元気なはずよ。保証します。」
ちょっと照れくさそうにあかねのお腹に手を当てる乱馬と、笑いながら「絶対元気な子供を産むからね」と答えるあかね。

そんな2人を祝福するかのように、白いハトたちが2人の上空を旋回しながら羽ばたいていた。


その後の予定であるが、数日後には祝言があげられる。あかねの体調も考えてのことで、道場での質素な祝言だそうだ。乱馬もマンションは引き払い天道道場に移り住んだ。夜の仕事もやめ、道場のアルバイトもキリがよい所でやめさせてもらった。そして、乱馬は天道道場をあかねと共に継いだ。
そして、もっとも楽しみなのは2世の誕生。きっと半年後には可愛らしい赤ちゃんが産声をあげるだろう。



5年という長いブランクを埋め、そして2人は結ばれた。きっと、どんなに離れていようが、絶対に結ばれる運命だったのかもしれない。

そして――
これから先、どんな試練があろうとも乗り越えていけるだろう。
 
 

桜湯  完

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